我々を支えてくださる皆様へ!
大谷田就労支援センターの支援の考え方や普段の様子を載せていきます!
2014年08月20日 いたみ
相談支援が始まって、皆様に将来のこととか、親亡き後の人生とか、将来に向けて準備するためにショートステイやヘルパーの利用や、グループホーム等への入居を奨めさせていただいています。我々もそうですが、現在(いま)の生活が滞りなく過ごせているので、新たにサービスの必要性はなく、なかなか将来のこととかは考えられないですよね。
それでも突然現実を突き付けられます。
ある方の親御さんが病気で同時に入院されてしまいました。親子二人で何事もなく暮らしていましたが、それは突然起こりました。お子さんがご自宅でひとりきりになるので、今後のことを親御さんとお話しに入院先に行かせていただきました。
お子さんは親御さんの痛々しい様子を見て泣いてしまっていて、親御さんはお子さんの今後のことを案じて泣かれてしまっていました。親御さんの命に別状はありませんでしたし、暫く入院すれば退院できると病院の看護師さんから聞きいていましたが、お二人の姿を見ていると、いたたまれない気持ちになり、その場を一旦離れさせていただきました。
我々支援者は無力です。
本当に困ったときに支援者としてできることは限られています。ご本人と一緒にいることしかできないです。一緒にいたみを感じるしかできないですね。
家族が支え合って生活してきた中、どんなに福祉のサービスを厚く提供しても、どんなに事前に立派なプランを提供しようとも、突然生活が崩壊してしまったご本人にとって、何の意味を持つのだろうと考えさせられます。病気を治すわけでもなく、元の生活の通りにできるわけでもなく、あまりにも我々支援者にはできないことが多すぎます。
それでも何かをしなければならないと私は思う。
遠方の親戚の方からご連絡をいただきました。お子さんが一人になるので、暫く預かっていただけないかとか、今後のことを考えて、施設みたいなところを探して欲しいとお願いされました。電話越しでも親戚の方の焦りと心配が手に取るようにわかりました。
ご自宅で何度も泣き出すご本人に今後の話をしました。ご本人の希望は退院してくる親御さんを自宅でずっと待っていたいとのことでした。
支援者は仕事の枠組み上、何かとサービスを提供することに終始しがちなのですが、それではご本人を支えられないという事態が沢山あります。私自身もやるべきこととやれないことの葛藤に何度も悩まされました。役割の枠組みを超えて何かしなければ問題を解決できないことは幾度もあります。本当はいけないのでしょうけど、私はすべての枠組みを超えてできることはすべてやっていきます。
それでも、ご本人のいたみを感じると、突き付けられた現実に自分がなんて声をかければいいかわからなくなります。
以前に、お子さんを施設に入れざるをえなかった親御さんとお話しした時がありました。障がいからくる事情だけではなく、病気やその進行、家庭の事情や介護者の死亡など施設に入れることを否定的にとらえながらも、家庭の中でその実情を抱えきれなくなり、他に方法もなく施設に入れることを選ばなければならないケースもあります。ご本人もご家庭もこれまでの生活からすべてが変わってしまうのですから、受け入れられない気持ちで一杯になります。
本当にこれでよかったのか。
親御さんは何度も言われました。今までずっと一緒に住んできて、突然そのようにせざるを得ない状況に、気持ちの整理がつかず、何度もご自身に問いかけていらっしゃいました。私もこれまでの関わりのなかで、もっとできたことがあったはずなのに、もっとこうしておけばよかったのにと、何度も自分の中で後悔していました。どんなに手を尽くしても、何も変わらない、変えられないことはあります。それがわかっていても、何かまだできたことがあったんじゃないかと思ってしまいます。親御さんの想いに比べれば、私の想いなど些細なことになってしまいますが、毎日関わってきて、少しずつ変わっていくことができていたご本人に突き付けられた現実を思うと、やはり何かできたことがあったのではと考えてしまいます。
ご本人が抱えるいたみに寄り添うことが、我々支援者のできることです。